アメリカの先住民は、1月の満月のことを「ウルフムーン」と呼んだそうだ。厳寒期のこの季節、どうして「オオカミ月」と呼ぶのだろう、で調べてみたところ、凍てつく夜の闇を、オオカミの遠吠えが突き刺すように響き渡ったことに由来するという。満月の光の下、月に向かってオオカミのなき声が不気味に響き渡れば、なんとなく不吉な予感がして、強く印象の残ったのだろう。
萩原朔太郎に「月に吠える」と言う詩集がある。ただし吠えるのは、冬の犬である。オオカミでもイヌでも、冬の寒空に響く遠吠えは、一種独特の情感を引き起こすことでは同じなのだろう。
「月に吠える」
◆北原白秋による序文(大正六年一月十日)
月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に地面に生きてゐるものは悲しい。
ぴようぴようと吠える、何かがぴようぴようと吠える。聴いてゐてさへも身の痺れるやうな寂しい遣瀬ない声、その声が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる。
◆萩原朔太郎自身による序文
過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。
[青空文庫]より抜粋
ウルフムーンは実際には明日のAM2:54なのだが、今日はすでに満月度が99.9%。いつも通りふるさと広場に向かった。
佐倉市の月の出は、16時18分。日の入りは17時。
日の光が残っていると、薄ぼんやりと見えて昇りはじめを見逃してしまうことが多かったが、今日は珍しくクッキリとした姿で昇ってきた。今年一番の寒波が運んでくる北風に月までが凍りついたように、白い氷の球体_アイスムーンが昇り始めてきた。