つくつく法師の鳴き声を、今夏初めて耳にした。すでに鳴き始めていたのかもしれないが、遠くの林の方で鳴いているな、と意識したのは今日が初めてだった。夏の終わり頃に鳴き始めるという認識だったが、今日はまだ8月9日、かなり早い鳴き始めということなのだろう。
以前、つくつく法師の独特な鳴き方について、作家の梅崎春生さんの説を紹介したことがある。繰り返しになるので簡単にしておくが、「ジュクジュク」から始まり「ジュー」で終わる鳴き方を、起承転結の四段構成として捉える説だった。
梅崎さんにとって、つくつく法師は気になるセミだったようで、代表作の一つ「桜島」という小説にもつくつく法師が登場する。
それは、通信兵として袴腰(はかまごし)の部隊に送られた村上兵曹(梅崎さんの分身なのだろう)と見張の男とのやり取りの中に出てくる。
(以下「青空文庫」より引用)
「つくつく法師は、まだかね」
「まだですよ。あれは八月十日すぎ」
男の表情に、いらいらした影が浮んで消えた、と思った。
「つくつく法師は、いやな蝉ですね」
男はそう言い、一寸間をおいて、
「私はね、あの蝉は苦手なんですよ。毎夏、あの蝉が鳴き出す時、いつも私は不幸なんです。変な言い方だけれど。――去年は、六月一日の応召。そして佐世保海兵団、御存じでしょう、十分隊。そこにいて、毎日いやな思いで苦労して、この先どうなることかと暗い思いをしているとき、食事当番で烹炊所(ほうすいじょ)の前に整列していると、その年初めてのつくつく法師がそばの木に取りついて、いやな声立てて鳴きましたよ。丁度、サイパンが陥ちた直後で、どうせ私達は南方の玉砕部隊だと、班長たちから言われていた時で――」
声が一寸途切れた。
「一昨年もそうでした。その前の年も。いつも悲しい辛いことがあって、絶望していると、あの蝉が鳴き出すのです。あの鳴き声は、いやですねえ。何だか人間の声のようじゃないですか。へんに意味ありげに節をつけて、あれは蝉じゃないですよ。今年も、どのような瞬間にあの虫が鳴き出すかと思うと、いやな予感がしますよ」
(引用ここまで)
この見張りの男は、グラマンの機銃によって命を落としてしまう。その場面でも、つくつく法師が鳴いていた。そして玉音放送のあった日にも、つくつく法師は鳴いていた。
このように、この「桜島」という作品では、つくつく法師は不吉なセミとして扱われているのだが、今までそのような印象を持ったことはなかった。子どもの頃を振り返ってみても、つくつく法師の鳴き声を聞き、夏休みが終わりに近づいたんだと知り、学校の宿題がまだ残っていることを思い出し、焦る気持ちが掻き立てられることはあっても、不吉なセミだとは思っていなかったはずだ。
しかし違っているようではあるけれど、考え直してみれば、つくつく法師の鳴き声によってあることの終わりを告げられる、という点では同じなのかもしれない。
つくつく法師の鳴き声は、すぐ聞こえなくなった。そして、これも今夏初めて、庭でアブラゼミが元気よく鳴いた。その暑苦しい声が聞こえるうちは、まだまだ暑い夏は続くのかもしれない。