アユミギャラリーとの縁が生まれたのは、もうかれこれ10年以上もの前のことになる。そして今に至るまでに、そこで多くの人との出会いがあった。ただその一方で、三人の方との別れがあった。アユミギャラリー亭主の鈴木喜一さん、写真家の大橋富夫先生、そして写真塾メンバーのYさん、みな鬼籍に入ってしまった。
鈴木喜一さんは、多彩でいろいろな顔を持っていた。本業は建築家なのだが、当方が覚えているだけでも、画家・大学講師・エッセイスト・旅人など、次々と思い浮かんでくる。
ヨーロッパ旅行に誘われたことがあった。その時はご一緒することはできなかったが、今思えば思い切って同行すればよかったと悔やまれる。そのあと体調を崩して、何かにせかされるように帰らぬ人になってしまったのだ。たぶん喜一さんにとって、それが最後の海外旅行だったのだろう。
大橋先生には、写真のことをいろいろと教えていただいた。建築写真の世界で第一人者と言われていた大橋先生の第一印象は、眼光鋭く近寄りがたさを感じるものだった。ただその印象も、写真家として敬意は抱きながらも、年を経て次第に親しみを感じるものとなっていった。
写真の講評会ではあまりほめられたことはなかったが、病に倒れてしまわれる何年か前からは、先生所有のずっしりと重くて、いかにも高価そうなレンズを当方のカメラにつけさせてくだっさたり、先生愛用のカメラを、こちらの首に掛けさせてくださったりと、今までにはなかったことを経験させていただいた。多少は認めていただけていたのだろうか、勝手な思い込みかもかもしれないが……