項目別「里ふくろう草紙」

旅行

サイパン

サイパン慰霊の旅(1)バンザイクリフ

八月に入り、今年も終戦記念日を迎える。太平洋戦争が終戦を迎えたのが1945年、その前年には南方諸島の島々で、連合国軍との激しい戦闘が繰り広げられた。サイパン島もそれらの島の一つで、悲劇の島として名をとどめることになってしまった、悲劇を伴わない戦争などないけれど…

 

1944年6月15日に連合軍の上陸作戦が始まり、戦力で劣る日本軍は次第に島の北部へと追い詰められ、結局一ヶ月足らずで全滅した。日本の委任統治領だった当時、サイパン島には約3万人の日本人が居住していた。多くの民間人がこの戦闘に巻き込まれ、最北端のマッピ岬に追い詰められた人たちの中には、海に身を投げて自決した者も多かった。その最期の時、両手を挙げて「バンザイ」と叫びながら身を投じたことから、「バンザイクリフ」と呼ばれるようになったという。

 

 

その岬の周辺は、のちに平和公園として整備され、供養塔・慰霊碑などが建ち並んでいる。

 

 

 

2010年12月撮影

2021年08月04日サイパン:サイパン

サイパンの旅(2)ヘル・オブ・マリアナ

サイパン島で開催される自転車レース「ヘル・オブ・マリアナ」は、1周100kmのコースを走り抜けるミクロネシアで一番過酷なレースであると言われる。毎年12月の第一土曜日に開催され、2010年は12月4日が開催日で、ちょうど当方がバンザイクリフに訪れたその日に実施されていた。

 

 

2021年08月05日サイパン:サイパン

サイパンの旅(3)サイパンまで

2010年12月のサイパンへの旅は、成田空港からデルタ航空の直行便を利用した。このデルタ航空の直行便は、2018年8月をもって運休してしまった。その後、2019年11月からスカイマークが成田からサイパンへの直行便を就航させたが、新型コロナの感染拡大により運休となり、今後の運行予定は立っていないそうだ。

 

 

サイパンまでの所要時間は約3時間半、成田を宵の口に出発してサイパンのホテルに入ったのは深夜、日付は次の日に変わっていた。ロビーにはもうクリスマスツリーが飾られていた。

 

 

 

 

2021年08月07日サイパン:サイパン

サイパンの旅(4)ホテル

一夜明けて、ホテルの部屋から眺めるサイパンの海と空

 

宿泊したホテルは「サイパングランドホテル(現カノアリゾートサイパン)」

 

 

 

 

 

 

 

2021年08月08日サイパン:サイパン

サイパン慰霊の旅(6)日本人戦没者の碑

サイパングランドホテルは、2012年6月1日からカノアリゾートサイパンに改称した。リノベーションに伴う名称変更だった。「カノア」はハワイの言葉で、「自由な・開放的な」を意味するそうだ。

 

所在地はサイパン島の南西ススペ地区、この地区の海岸線を南に少し行けば、かつて太平洋戦争時に米軍が上陸した「チャランカノア米軍上陸地」へと続く。

 

ホテルを出て、ビーチロード(ルート30)を徒歩で10分ほど南下してルート309と交差する所に、日本人戦没者の碑がある。

 

 

日本の政府によるサイパンで初めての慰霊碑だということだ。規模はあまり大きくないが、政府の戦没者慰霊碑に加えて、個人の慰霊碑や墓石などが18基ある。

 

 

 

お参りする人は、サイパンに住んでいる人か?

 

ルート309の南側からは、チャランカノア地区となる。東に進むとサイパン最大の淡水湖「ススペ湖」がある。また西に進むと、チャランカノア米軍上陸地に至る。この辺りの海岸から米軍が上陸したのは、1944年6月15日のことだった。

 

2021年08月11日サイパン:サイパン

サイパンの旅(7)米軍上陸海岸

米軍が上陸したのはサイパン島南西海岸一帯、地図上のチャランカノアの上陸地を挟み南北に長く延びる海岸線は、地形図を見て分かるように平坦なビーチが続く。

 

アメリカ軍の上陸地点。

File:Battle of Saipan map.jpg

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

(ウィキペディア掲載の画像を加工してあります)

 

【サイパンの戦い】

日本軍の激しい攻撃の中でサイパン島に上陸するアメリカ海兵隊

File:Two Marines keep down low.jpg

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

(ウィキペディア掲載の画像を修正してあります)

 

カノアリゾート前の砂浜でも、激しい戦闘が行われたのだろう、現在の美しい浜辺の光景から想像するのは難しいが……

 

 

 

沖の方に、いつも大きな船舶が停泊している。いつ見てもだいたい同じ位置に留まっている。たまに見えなくなる時があるそうで、聞くところによると、姿が消えた後天気が崩れるということだ。地元の人は、船の姿が消えることを天気が荒れる前兆としてとらえ、一種の天気予報として受け止めているらしい。

 

2021年08月12日サイパン:サイパン

サイパンの旅(8)ラストコマンドポスト

サイパン島の最北端にあるマッピ山は、バンザイクリフから見上げると、上から押しつぶされたような扁平な形に見える。

 

そのマッピ山の崖下に、日本軍の最後の司令部だったといわれる「ラストコマンドポスト」がある。

 

山の壁面の洞窟状の窪みに、コンクリート造りの施設が設けられていた。分厚い壁には、訪れた当時でも弾痕がくっきりと残っていた。

 

 

 

 

土産物店まで店開きしていたが、さすがに買い求める人はいなかった。

 

2021年08月15日サイパン:サイパン

サイパン慰霊の旅(9)中部太平洋戦没者の碑

ラストコマンドポスト周辺には、中部太平洋戦没者の碑、おきなわの塔、太平洋韓国人追念平和塔など、多くの戦没者慰霊碑が建立されている。2005年には当時の明仁天皇・美智子皇后が、中部太平洋戦没者の碑を慰霊のため訪問されている。

 

中部太平洋戦没者の碑

 

この碑の背後には、マッピ山の切り立った崖がそびえる。サイパンの戦いの末期、北へ北へと追い詰められていった日本兵・民間人が、バンザイクリフと同様に、崖の上から身を投げて自ら命を絶った。このことから、この崖は「スーサイドクリフ(自決の崖)」と呼ばれている。

 

 

 

 

2021年08月15日サイパン:サイパン

サイパンの旅(10)空と海

サイパンの空に虹が架かることはそれほど珍しいことではないそうだが、短い滞在期間中に見られたということは、やはり僥倖と言うべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

2021年08月26日サイパン:サイパン

サイパンの旅(11)観光

前回の投稿からだいぶ間隔が空いたが、サイパンの旅は今回が最後となる。

 

■砂糖王公園(シュガーキングパーク)

サイパンの砂糖王_松江春次は、日本統治時代にサトウキビ栽培と製糖事業でサイパンの発展に貢献した。その松江春次の功績をたたえて、1934年にガラパンに造られ、その当時は「彩帆公園(さいぱんこうえん)」と呼ばれていたそうだ。

 

 

砂糖王公園には、松江春次の銅像がサイパンの戦いでも破壊されることなく、現在でもサイパンの空に向かって屹立している。

 

 

園内には、砂糖きび運搬用として使用された蒸気機関車が保存されている。また、彩帆香取神社が隣接している。

 

◆蒸気機関車

 

◆彩帆香取神社

 

■ガラパン(柄帆)

サイパン島最大の市街地で、観光産業の中心地。日本統治時代には、日本人の人口が約1万4000人にまでなり、日本を模した街づくりが進められたため、「南洋の東京」と呼ばれた。(ウィキペディア)

 

 

地元の人が利用する食堂で昼食

 

2021年09月14日サイパン:サイパン